おはようございます。今日の軽井沢、最高にいい天気です。 ところで私「明暗」読了後、「虞美人草」をちろちろ読みはじめ、もう読了まで秒読み段階に入っています。 それにしても小野さん、て変な人ですね。読んでいない方にもわかるようにちょっと説明してみましょうかね。小野さんは博士論文を執筆中の詩人です。自分でも言っていますが性格が弱くて困っています。若いころ、京都で井上弧堂という先生にだいぶお世話になったようです。それがご縁で先生の一人娘の小夜子さんと半ば許婚のようになっていました。ところが、ですね。小野さん、ちょっと腹黒いところがあって、実は小夜子さんと結婚したくないらしいのです。自分ではとても弧堂先生に直接そんなことを言えない小野さん。友人の浅井くんに頼んで(10円も貸して)その旨を先生に伝えてもらうことにしました。ひえー、何それ、て感じです。これを聞いた弧堂先生、それは怒ります。そりゃそうでしょ。自分で言えよ、ですよね。 そして、この経緯を聞いたのが小野さんのまた別の友人の宗近くん、です。直情的なところのある宗近くん、早速、小野さんのところに飛んで行って、「お前な、もっと真面目になれよ。」てなことを言う訳です。 それを聞いた小野さん、ここが何とも妙なところなんですが、ころっと気持ちが変わるんですね。そうだ、やっぱり自分は間違っている、小夜子さんと結婚しよう、てね。 あまりの急展開にびっくり、です。どうして?どうしてこうなるの、とページをひっくりかえして読み直してみましたが、どうしてもわからない。昔の人にとって「真面目」という言葉には特別な意味があったのかなー、なんて考えて「真面目」の語源を調べたりしましたが、どうしても得心がいきません。 さてさて、この後、小野さんと小夜子さん、弧堂先生はどうなるのでしょうか?小野さんがひそかに思いを寄せて、その日、会う約束までしていた藤尾さんはどうなるのでしょうか?写真の浅間山のように、興味津々です。
此の後はどうなるのでせうか、特に藤尾さんはどうなるのか氣に成ります。此れから『虞美人草』を讀んでみようと云ふ方の爲に結末は伏せておきませうね。
漱石の小説には“眞面目”がたくさん出て來ます。
『こころ』では、先生が私に對して以下のやうに云ふ場面がありました。
「私は死ぬ前にたつた一人で好いから、他(ひと)を信用して死にたいと思つてゐる。あなたは其のたつた一人に成れますか。なつてくれますか。あなたは腹の底から眞面目ですか」
人から面と向かつて、あなたは眞面目か?と訊かれる事は餘りないですよね。でも若し訊かれたら、眞面目です、と答へられるやうに日々過ごしていきたいものです。
辞書によると真面目とは、【1.本気であること うそや冗談でないこと 2.まごころをこめること 誠実なこと】、だそうです。
自分の気持ちに嘘・偽りがなく誠実な人がいわゆる「真面目」な人のようですね。私など、自分の気持ちが自分でもよくわからないことが多いので、真面目なのか不真面目なのか、よくわかりません。
推測するに、たかさんはきっと素晴らしく真面目な方でいらっしゃるのだと思いますよ。